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・180922 ひふみ神示と肉食と菜食
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日月の道〜ひふみ神示〜

180922 ひふみ神示と肉食と菜食

私は20歳頃にひふみ神示に出逢い、その衝撃から四つ足食(牛や馬・豚)の一切を絶ちました。

その後、35歳頃までの15年間絶っていましたが、精神的に病み、再び肉食をするようになりました。

そして現在、また肉食を絶ち、菜食に戻っています。

このような遍歴から、日月神示と肉食・菜食についての関係を、経験談で書いていきます。

まず、日月神示を読み始めたごく初期は、日月神示の文字が光となって額に入り込むような感覚を受けました。
この状態で神示を読み進めると、次に腹の中が引っかき回されるような感覚に耐えられなくなりました。
この感覚は、肉食を絶ち時間が経過すると落ち着いていきました。

大体、この感覚が完全に収まるまでに3ヶ月くらいはかかったと思います。

朝夕の礼拝をし、祝詞を上げている期間が続きました。
食事の際も心の中で「ひふみよいむなや・・」と唱えながら食べていました。

やがて自然と瞑想をするようになりましたが、はじめは胡座をかきながら、次第に仰向けになり腹の前で手の平を合わせて・・・という感じに移行していきました。

肉食を絶ち(といっても魚介類は食べていましたが)、日々深い瞑想をしていましたが、次第に「感謝の心」というのが強くなっていきました。

感謝瞑想というのでしょうか・・・神様への感謝というか、生きている事に感謝、このよの全てに感謝・・・という状態になったとき、殆ど呼吸は止まり、横隔膜が自然に震える状態になりました。
感謝の心で涙があふれ、自身が空に飛んでいる(幽体離脱?)状態になれるようになりました。

これが恐らく「腹に神が懸かっている状態」なのではないか?と思います。
そのときに経験した強い「幸福感」「快感」は、私がかつて小学生の頃に見た、白い衣を着て果てしなく広がる平原にたたずんでいた夢を見たときの幸福感と同質のものだったと思います。
その幸福感・快感はこの世のどの方法でも得られない程のものでした。


ここに至るまでに、肉食を絶って12年が経過していました。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
やがて私は仕事で詰まり、資格取得やお金儲けに精を出すようになりました。
自然と瞑想の頻度は減り、転職先が決まらないいらだちであまりにも腹が立ち、再び肉食をするようになりました。

転職先は決まったのですが、そこは「学や知恵」が支配する仕事場。
理屈の裏には嘘がある・・・という神示にある通りの事が目の前で繰り広げられ、人のだましあい、足の引っ張りあいなど、自分が一番嫌いなものを目の前で見せつけられ、はっと我に返りました。

「学や知恵を追い始めて、肉食を始めてから、自分は一番大切なものを失ったのでは無いか」と。
私は再び人生に詰まり、結局必死に勉強をした事がかえって「不幸を招いてしまった」。
学や知恵に頼った生き方では、私のような頭の悪い人間は、結局不運になってしまうのだと、そのとき気づいたんですね。

それからまた人生を改め、肉食を絶ち、日月神示の道に帰ってきた、というのが、今の状況なんです。

本来このサイトは適当に放置するつもりだったんですが・・・。
自分の人生があまりにも紆余曲折が多く平坦ではなかった事と、その末にこの道に帰ってきた事から、これから神示の生き方をめざす人達が、私と同じ轍を踏まないようにと思い、更新を再開しました。

私の生き方は結局落第へと向かう道でしたが、上に書いたように「深い感謝の末にある瞑想」の状態へと至れた経験は、何事にも代えがたいすばらしい経験でした。

この状態に至るまでは、瞑想中に自身の葛藤・煩悩・悩みや苦しみが頭の中を駆け巡りますが、そういった煩悩は、肉食を絶ち菜食にあらためていくことで、少しずつ消えていきます。

恐らくは殆どの人が、「お前は神の生まれ変わりだ」とか「お前がこの世を開く人間だ」といった、「神の声」を聞くことになると思います。
ですが神示には「慢心と取り違いが一番怖い」とあるように、そういった思いは全て間違いなのだとしてください。

そもそも、私が上に書いた感謝瞑想の極限の状態にあった時、神の声は聞こえませんでした。

感覚は鮮明に覚えています。
まわりが漆黒の闇(宇宙空間?)で、自身の皮膚の部分が光っている。
天空から光の筋が額に入り、その光が体の表面を覆い、表面から腹の中にかけてその光が一点に集中している状態です。
そしてその光が横隔膜に影響し?、子供が泣きじゃくる「ひっくひっく」というような感覚で、全ての事に対する感謝の心により、自然と涙があふれたとき、腹の中に集中した光が額に抜け、額から天に向かって一直線に光が立ち上る。
その後、幽体離脱のような状態になり、空から町を眺めているような映像が見えるようになりました。
(この状態でも自身の体表が光り輝いている状態は感覚で分かる)

そのとき見られる映像はランダム?なのか分かりませんが、瞑想の度に変わりました。

この感覚が保っていられる間、ずっと額から光が出ている感覚が続きます。

ですがこの感覚を長時間維持することは難しく、訓練がきわまっていた時期でも10分程度が限界だったと思います。


これから先、この道を開いてくれる方々の助けに少しでもなれば・・・。
頑張って下さい。





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